一周忌に建てることが多いブログ:140731


結婚して数年経って、
平穏な毎日を送っている今も、
わたしにはしばしば眺めている数枚の写真があります。

それは
母と幼いわたしが写った数枚の記念写真。

神戸の街角で、青い染め抜きの花模様の着物を着て、
微笑む母のそばでにっこりしているおかっぱ頭のわたし。

どこまでも広がる黄色い菜の花畑で、
花に顔をうずめている小さなわたしと、
それを見守る母の優しい笑顔。

長い一本の道を、
手をつないで歩いていく母とわたしの後姿…

子供の頃の思い出の横にはいつも母がいて、
わたしはこんなにも母に見守られて、
育まれてきたのだという実感が、いつも心を暖かくしてくれます。

でも子育てをしてみて
わたしは初めて気がついたことがあります。

それは、
母との思い出の数々を今日の日まで残してくれたのは、
そのフレームの中にはいないパパだったということ。

不思議なくらい、今の今まで気がつかなかった…

子どもが生まれて、
わたしがカメラを持つようになり、
アルバムを作ってみれば…

そこには、
子どもを抱く旦那、
子どもをお風呂に入れる旦那、
子どもを子ども寝かしつける旦那…

わたしとの写真なんてまるでなくて、
これじゃ将来うちのむすめはわたしが育児放棄をしたと思うかなぁ…なんて
苦笑いしています。

写真という記憶の不思議。
フレームに存在しないという、存在感。

「気づくのが遅くなっちゃいましたね。お父さん」

でも間に合って、よかった。
今までずっと、ありがとう…

控えめなパパの深い真心に、
わたしは心から感謝しています。

パパのおかげで、
わたしも母も幸せな思い出をいつまでも
抱き続けることができるんですね。